日々の延長
日付変わって平日
静かに日々をいきている、はずだ
創作をしている
基本的にはクリエイティブっぽいことをしている
年がら年中私のあたまのなかは空想だらけで、よく日常に戻ってこれなくなりそうになる
それ以外の日々を生きるのすら苦しいのに、創作はさらに深く苦しい
ここ3・4年、創作を考えなかった日は一日もないと思う
頭の片隅には常に何かしらがいて、どれだけ遊びに行っても、たのしいことをしても、つねにその延長線上に創作の断片が待ち構えている
そして今日にいたるまでも、もちろんそれは続いている
どれだけ恋愛で叩きのめされても、この仕打ちはきっと私の創作のための仕打ちだったと思える日が来るんだから、これはすべてフィクションに活かさなきゃ、とか本当に真剣に考えている。考えてしまう。
そんな必要ないのに
普通に苦しいっていいたいし普通に真っ向から恋愛してみたいだけなのにな、と
創作の面でも、日常においても、辛かったことや苦しかった経験は全部これからの糧、と思って生きてきたけど、もちろんこれからもそう思い続けていくけれど、なんだかくるしい
全てを創作のための天秤にかける行為をやめたい
よくない
失敗は失敗だし糧でも何でもない、とか考えちゃう自分も確かにいる
失敗したくないし苦しい思いもしたくない
幸せでいられたら最高じゃないか?と
…
むかし、10代だったころ。
13歳くらいから、もっと前かなぁ?
もうすでに私の中に創作は潜んでいて、空想でどこかに行ってしまっていたと思う。
映画を見ているとき、漫画を読んでいるとき、クラスの他人を観察しているとき、教師に怒られた時、部活の先輩に私だけかわいがられなかったとき、毎週土曜日の祖母の家、実家のパソコンでアメーバピグをやっていたとき、深夜にリビングで音もなく部屋を眺めていた時、駅前の自転車の列を蹴っ飛ばしてみたくなったとき、高架下をまっすぐあるいて帰ったとき、寝静まった家族にばれないよう家を飛び出したとき、片道1時間半の電車にのっているとき、……
あの何物にも代えがたい爆発的な想像と劣等感が、20代になって形を変えて現れているだけだとも思う
何も変わっていないし、創作は自分にとって一生離れらないものなのだ
離れたくないし離れたくても離れられない
疲弊してはいるが、なくてはならないものだから…がんばろう
私の人生は私にとって最大のネタ帳である
だから、すべてを行動に起こしてネタを貯め続けるしかない
幸せになりたいなんておこがましい
すべてを燃やし尽くして創作にしていこう
うそぜ~~んぜん幸せになりたい!笑
未来の私ってば、敬具してあげるよ